ホンダのカブがもたらしたもの


当時の日本の商品にはこうした工業意匠の感覚がほとんど抜けていたのですが、ホンダはこれを率先して取り入れたのです。


そのころから、日本にもインダストリアルデザインの大流行時代が到来するのですが・・・


ホンダ・カブはそのきっかけを作ったという意味でも特筆に値します。


こうして、いま人気のある電動スクーターの発明へとつながっていくのですね。


さて、昭和28年(1953年)というと、バイクモーターの品質は一応実用の線に達し、世間の評価も定まり、しかもこれが作りやすいとあって、きわめてはなばなしい商戦が始まります。


その構造は似たり寄ったりであるから何を宣伝文句にするかは、どの会社も苦心したところ・・・。


そこに真先にうまい手を打って世聞をアッといわせたのがホンダの「赤いエンジンに白いタンク」です。


従来のオートバイの外装といえば、大体が黒みがかった見ばえのしない色。


機械というものは性能第一で色彩などどうでもよい。


それに走り出せばどうせ泥まみれ・・・ということが先入観だったのではないでしょうか?


そこにホンダは婦人の服飾よりもっと鮮明な色彩を持ってきたのだから大評判となりました。

電動スクーターに乗ろう!


当時のエンジンのシリンダーは従来の鋳鉄製でなく、アルミに硬質クロムメッキを施したものであり・・・


これも日本にとっては初めて見るものでした。


動力伝達は大多数が後輪を駆動する方式で、それもVベルト、またはチェーンによるものが普通。


ごく少数がローラー駆動でした。


諸外国においては、前輪を駆動する方式も若干あり、日本ではトーハツがこれを最初のものに採用したが、好評を得られず、間もなく後輪を駆動する方式に切りかえました。


不評の理由は、エンジンの急停止があると操縦不能となりますし・・・


また、スタートのときスタンドを立ててペダルを踏むという手がつかえないというような点でもあったろうかと想像されます。


上述のように構造は似たり寄ったり、性能もどんぐりの背くらべなので、外見とか宣伝文句とかに特別の魅力を出すことに多くの努力が払われましたが・・・


その点で一頭地を抜いたものがホンダのカブでした。


これはエンジン被いを鮮やかな赤色、ガソリンタンクを白と塗り分け、極めて人目を引きやすくしました。


そして「赤いエンジン、白いタンク」を歌い文句にし、盛んに宣伝したのです。


これは、今で言う電動スクーターのように画期的なものだったのです。


バイクモーターの歴史


昭和28年(1953年)の日本の市場には、何十という銘柄が一時に現われてまことににぎにぎしいのですが・・・


技術の内容はわりあい単調です。


エンジンそのものは50~60ccの単気筒空冷2サイクル。


方式としては3孔形が大多数。


ただ愛知機械のものが吸入にロータリ弁を使った唯一のものでした。


薄板弁を吸入口に使ったものも後年現われましたが、昭和28年ごろには1機種もありません。


出力は1PS/3500rpmの程度が一般。


当時ドイツなどでは、クライドラーK50のように50cc2サイクルで2.5PS/5000rpmというような高性能エンジンが現われていました。


これは、自転車の補助動力としてでなく、軽易ながら本格的なオートバイの態をなしていました。


当時の日本の平均的バイクモーターの出力はこの半分以下だったので、クライドラーは驚異の的でした。


今で言うなら、電動スクーターと同じくらい画期的なものだったのでしょうね。

はじめまして、こんにちは。


今日からバイクに関するブログを書いていきたいと思います。


最近注目を集めている電動スクーターについての話題や、今後売れるであろうバイクについての話題、そしてバイクの歴史などについて考察していきたいと思っています。


・・・ということでよろしくお願いします。


昭和27年末ごろになると、相当名の通ったメーカーだけでも約30社ありました。


洗いざらいあげたら50社にも及んだかも知れないと思われるほどです。


古い記録をくってみると、その年の秋、通産省の主催でバイクモーターの性能審査を行ったことがあるといいますが・・・


それに参加したのは31銘柄で、そのうち2機種は外国製だったといいます。


当時の名のあるメーカーはこぞってこの企てに参加したと思われますから、上記の約30という数字は、当時本格的に商品化きれていたもののほぼ全数と認めてよかろうと思います。


(そこまで達しないもの・・・


つまり弱小メーカーのもの、あるいは試作段階のものは、たぶんこれと同数くらいはあったかもしれないと思いますが、残念ながら記録が見当らないのです)。